対話の中で生まれるもの
- Ellie Taniguchi

- 3月29日
- 読了時間: 5分
更新日:3月29日

今振り返ると、私が対話を意識し始めたのは、
20年ほど前に心理学のカウンセリングを受けてからだと思います。
当時私は、システム開発の会社を経営していました。
社員は契約社員を含めて20名ほど。
自分で立ち上げた会社です。
拡大基調で黒字だったにも関わらず、
ちょっとしたボタンの掛け違いで、急に経営が傾いた頃でした。
毎日、資金集めに奔走し、
夢と責任の重圧で、心身ともに疲れ果てていました。
それでも、やっとの思いで黒字化に戻し、
あとは少しずつ回復するのを待つだけ、というところまで持って来ることができました。
ただ、カウンセリングを受けた理由は、それが直接の原因ではありませんでした。
たまたま、その心理学の会社から仕事をいただくことになり、
ビジネス理解のためと、興味もあって受けてみたのです。
そのカウンセリングは、プロセス指向心理学という考え方に基づくものでした。
問題を解決することを目的とするのではなく、
「今起きているプロセス」に耳を澄ませるアプローチです。
症状や葛藤、違和感、偶然の出来事。
そうしたものを取り除くべきものではなく、
意味を持った流れとして見ていきます。
ある日、カウンセリングの中で、
私の中の「思い込み」がほどけていく瞬間がありました。
そして、その日の午後。
黒字化して復活したと思っていた会社に、突然差し押さえが入り、
倒産することになります。
けれど、その倒産は、私にとって解放そのものでした。
経営していた時には「最も見たくない現実」だったものが、
いざ起こってみると、
その時の私にとって、本当に必要な「解放」だったのです。
もちろん、その時に迷惑をかけた関係者の方々には、
今でも申し訳ない気持ちがあります。
この話を掘り下げると長くなりそうなので、
話題を対話の方に戻します。
会社が倒産したあと、しばらく私は、
そのカウンセリングを提供する会社の経営アドバイザーとなりました。
そこではカウンセリングの他に、
「傾聴」のワークショップも開催されており、
私はそのテキスト作りを手伝ったりもしていました。
そこで、人は言語以外にも、
非言語のコミュニケーションを多用していること、
また、自分が認識している自我だけでなく、
無意識の領域が行動に大きく影響していることなど、
心理学の基本的な考え方に触れることができました。
それと同時に、
耳がついているからといって、
聴く力が自動的に備わっているわけではない、
ということにも気づきました。
ビジネスマンであった頃の私にとって、
いや、今もそうですが、
「リーダーシップ」は一つの重要なテーマでした。
私が大学を出て就職した頃のリーダーシップの多くは、
中央集権的なモデルに準拠していたように思います。
肩書きと役割。
ピラミッド構造。
しかしその後、インターネットの商用化と発展によって、
組織は自律分散的なネットワーク型へと変わっていきました。
まるで情報処理の世界のように。
それもそのはずで、
リーダーシップは、実際には情報処理に似ています。
人と人とのコミュニケーションがベースにあるからです。
そして、最初に就職した大企業を辞めて起業したのも、
ネットワーク型の組織とリーダーシップを、
自分で創り、試してみたかったからだと思います。
会社が倒産したあとも、
リーダーシップへの関心は続いていました。
その頃、気づいたことがあります。
ネットワーク型のリーダーシップが成立するためには、
コミュニケーションが鍵になる、ということです。
だから、対話が大切になる。
これは、前半に出てきた傾聴とも重なります。
耳がついているからといって、
聴く力が自動的に備わっているわけではない。
同じように、
口がついているからといって、
対話する力が自動的に備わっているわけでもありません。
それから私は、対話について学び、
実践してみるようになりました。
起業家のグループで、傾聴と対話を行っていたとき、
ある本を紹介されました。
デイヴィッド・ボームの『ダイアローグ』です。
その本には、対話について次のように説明されています。
おそらく、この本を超えて、これほど深く納得できる対話の説明に、
私はまだ出会っていません。
これは、対話が単なる会話や議論ではないことを、
端的に表していると思います。
『対話では、人が何かを言った場合、相手は最初の人間が期待したものと、正確に同じ意味では反応しないのが普通だ。というより、話し手と聞き手双方の意味はただ似ているだけで、同一のものではない。
だから、話しかけられた人が答えたとき、最初の話し手は、自分が言おうとしたことと、相手が理解したこととの間に差があると気づく。
この差を考慮すれば、最初の話し手は、自分の意見と相手の意見の両方に関連する、何か新しいものを見つけ出せるかもしれない。そのようにして話が往復し、話している双方に共通の新しい内容が絶えず生まれていく。
したがって対話では、話し手のどちらも、自分がすでに知っているアイデアや情報を共有しようとはしない。むしろ、二人の人間が何かを協力して作ると言ったほうがいいだろう。つまり、新たなものを一緒に創造するということだ。』
(ダイアローグ デヴィット・ボーム著 金井真弓訳 英治出版 より引用)
そう。
対話はそのプロセスそのものがすでに創造なのです。
彼は続けて、
こうしたコミュニケーションで新しい創造が生まれるのは、
それぞれが偏見を持たず、
互いに影響を与えようとすることもなく、
自由に耳を傾けられる場合に限られると述べています。
自分のこれまでの考えや意図を手放し、
これまでとは異なるものに向き合おうとすること。
そして、真実と一貫性に関心を持つこと。
対話の条件は、
創造の条件と同じなのだと思います。
目の前の真実に向き合い、
その場に流れるものに身を任せる。
それは、
沈黙の中から何かが立ち上がってくるのを待つことと、
同じことなのかもしれません。



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